今は本を読むことぐらい

本のある充実した時間 でもそれだけでは物足りない

「マーケット感覚をみにつけよう」

「マーケット感覚を身につけよう」

ちきりん著 ダイヤモンド社 2017年

 

 

 概してこの手の指南書やセミナーの講師の話というのは、「(あたりまえの)一般論」「(机上の)理想論」「(特殊な)成功例」に終始しがちであり、読んだり聞いたりしても全く充実感がないものだ。故に、本の場合人に勧められれば読み、セミナーでは動員数が足りない場合に声がかかれば参加することになる。

 

 論理的思考とマーケット感覚。さて、本書はというと少し視点を変えて非常に平易でかつ豊富な事例(成功例)を挙げて説明を進めていくので、大変読みやすく著者の言わんとすることを理解するのも容易である。

 

 著者が言うマーケット感覚というのを意識して日々を過ごせば、見える景色が変わってくる可能性はあるだろう。何事もトライ&エラーの積み重ねである。そういった意味で学生から若い社会人が読めば、彼ら彼女らが将来面白いことをするきっかけになるかもしれない。小生は著者が指摘する論理的思考が支配する環境に長く身を置いているので、こういった感覚を養おうと意識していたものの本書で整理できたと思う。

 

 だが一方で、成功例として本書で挙げられている事業は比較的身近なものであることから理解しやすい反面、列挙されている事業はどれも一流である。あたかも自分でも簡単に新しい事業を起こしてブルーオーシャンにこぎ出だしていけそうな印象を受けるが、現実はそんなに甘くないので夢ばかり見ないようにしたい。

 

 

 

「菌世界紀行 誰も知らないきのこを追って」

「菌世界紀行 誰も知らないきのこを追って」

星野 保著  岩波書店  2015年

 

 

 「雪腐病菌」。これが本書の主人公である。

 病の菌と書くため体に悪い「病原」を想像しがちだが、その本体は細菌(バクテリア)ではなく菌類(カビやキノコ類)に分類されるものである。菌類であるから胞子を作り菌糸を伸ばす。そしてこの菌類は雪の下に埋もれた芝やムギ科植物に感染し、雪腐病という病気を引き起こしてひどい場合には枯死させてしまう。

 

 地球には極限環境生物といって超高温や高圧下で生育するものが見つかっているが、人間を含めてほとんどの生物はマイルドな環境を好む。極地方の寒冷地や砂漠地帯などの生物相は貧弱である。なぜならそれらに適応したものしか生育できないからだ。この雪腐病菌はその名の通り低温に強い生物で、低温かつ高湿度の環境で病原性を発揮する。この菌類に魅せられた著者は研究試料採集のために北欧から北極地域、シベリア、果ては観測隊員として南極まで出かけていく。

 

 寒冷地、それも極寒の地での調査とはどういうものだろうか? 海外のそれもへき地での調査となるため基本的にはコーディネーター(現地の研究者)とともに寝泊まりしながら採集を続けていく。観光地に行くようなものではないため、各地でサンプルを採集しつつ移動・宿泊等での珍道中が繰り広げられていく。ときにはせっかく採集した試料の国外持ち出し禁止をくらったり、大型動物とのニアミスがあったり。

 

   冒頭に主人公は雪腐病菌が主人公と書いたが、本書ではどう考えても著者のほうが主役の旅行記であり、雪腐病菌はそのだしに使われているだけかもしれない。それでもこれを読んで研究室に籠るばかりではない、フィールドワークを通じた研究に興味を持ってくれる人が出てくれば著者は本望だろう。たとえそれが菌類対象の研究でなくても。

 

 

「スローライフの停留所-本屋であったり図書館であったり」

スローライフの停留所-本屋であったり図書館であったり」

内野安彦著  郵研社  2018年

 

 

 本書は公務員として図書館関係の仕事をこなしてきた著者がアーリーリタイヤし、その後の仕事や生活のことを書き綴ったものである。

 

 スローライフと聞いてどのようなものを思い浮かべるだろうか。俗世間を離れて(必ずしも人里離れたところに引っ込むというわけではない)、自分のペースで生活を送る。波長の合うヒトと付き合い、仕事をしていた時の緊張やストレスから解放された毎日。ゆっくりと流れる時間の中で、趣味や楽しみ事に夢中になる。私の考えるスローライフとはこういうものだが、ちょっと飛躍・浮世離れ・理想化しすぎか?

 

 上記のようなことを思い浮かべながら読み進めていくと、その勝手な思い込みと様相が異なることに気づく。著者は公務員をリタイヤしているが、フリーランスとして講演や研修、大学の非常勤講師、はたまた執筆活動等などで忙しく日々を過ごしている。また、本書の端々にどうにも自己顕示欲的なものが頻出し、浮世離れした感じなど微塵もない。まあスローライフといっても人それぞれとらえ方が違うと思うが、老後を有意義に過ごしていくためのヒント、という本書の触れ込みに納得できる人はどのくらいいるのだろうか? 著者のケースはやや特殊であり、これを一般化するのには無理があるように感じる。が、私も筆者のようにほどほどに忙しい第2・第3の人生を送りたいと考えていて、現在色々と妄想中である。

 

 スローライフ云々はさておき、本がもつ「文化」を全国あまねく届けるために図書館が担うべき役割や紋切り型ではなく特色のある図書館づくりなどの指摘は図書館員(運営組織側の人)と図書館人(利用する側の人)の双方を経験した著者ならではであろう。公立の図書館には本が好きな人が運営側にいるとは限らないという現実に頭を抱えるばかりでなく、今後の選書・運営のセンス向上に期待していきたいところである。

 

 図書館では利用率向上ひいては満足度向上が求められている中で、蔵書のラインナップ(例えば新刊の同一タイトルの複数購入)に対しては出版不況の一因として出版業界に影響を及ぼしていると批判が出たり、文庫本の貸し出し中止を求められたりと、なかなか四方丸くやっていくには難しい時代になってきたようだ。利用者としては何でも揃う図書館が理想であるが、予算の関係上そうもいくまい。それぞれが上手く特色を出して、地域社会での読書や調べ物に役立つ図書館とはどのようなものが理想であろうか?

 

 

「炎の牛肉教室」

「炎の牛肉教室」

山本 謙治著  講談社現代新書  2017年

 

 

 書架の背表紙を眺めていると新書には魅惑的なタイトルの作品が多い。そしてその期待に反して新書にはハズレも非常に多い。そういう意味で新書を手にする機会は少ないものの、本書は怪しいタイトルの割に楽しく読めるものであった。

 

 農畜産物流通コンサルタントを称する著者が牛肉のイロハを解説する。肉の等級から肉牛の種類、雄雌の肉質、飼育方法、熟成、流通、販売、さらには海外産の牛肉に至るまで一般的にはあまり知られていない事柄についても知ることができる。圧巻なのは著者自身が牝牛を購入し、オーナーとなって子牛を産ませ、それを肥育して屠殺・肉の販売をする過程をも紹介している。職業柄繁殖農家関係にツテがあるとはいえ、なかなか自身でここまでやるコンサルタントもないだろうから驚きである。

 

 著者は昨今の黒毛和牛・霜降り至上主義を嘆き、赤身肉にこそ肉本来の味と香りがあると主張する。肉の好みはヒトそれぞれであろうが、現在の肉の評価基準ではサシの多い肉が高く評価され、高値で取引される。そうなると畜産農家も儲かる方に流れるのは必然であり、黒毛和牛の限られた血統(サシが多い)の生産に偏りがちである。一方、ここ数年赤身の熟成肉がもてはやされてきており、私も齢のせいかそういった肉の方が美味しく感じるようになってきた。消費者としては多様な選択肢を確保してもらいたいところなので、畜産農家の生産意欲の向上、経営の安定化を図るためにも、現在の評価基準の見直しが必要となるのではないだろうか。

 

 販売数量では輸入肉も伸びている。スーパー等ではオーストラリアやアメリカから輸入された牛肉が価格の点から幅を利かせているが、やはり消費者視線からは抗生物質やホルモン(内臓肉ではなく成長促進剤等)の投与が気になる。そのあたりがつまびらかになっている商品であれば安心して購入できるがどうだろうか。著者が指摘しているように、国産牛の場合でも放牧はイメージだけでほとんどは牛舎での飼育となり、ビタミンコントロールなど牛に負荷を掛けるような肥育方法が一般的となっている。効率的に価値の高い商品を生み出すために手を入れすぎているような印象である。それを求める我々消費者にも原因があるわけで、将来的には消費行動の変化によって牛肉の生産を取り巻く環境が変わるかもしれない。安全・安心でうまい肉を安く! 虫が良すぎて難しいか。

 

 

「書店不屈宣言」

「書店不屈宣言」

田口 久美子著  筑摩書房  2014年

 

 

 皆さんが本を買うのはどこだろうか? 本屋さん? それともAmazonなどのネットショップ? 近くに本屋がないからネットで、という方も多いと思う。私もそうだ。年々街の本屋が減ってきて買う場所がなくなって来たし、品(本)揃えに不満を持つことも多い。

 

 この本は長らく大手本屋チェーンに勤めた(今も働いている)著者が書店の各分野を担当する書店員に対してインタビューし、その売り場ならではの工夫や苦労などを明快に書き表す。平置き本の選定方法とか、雑誌は発売日とその翌日が勝負とか、ライトノベルの台頭とか、児童書は親が子供の頃に読んだ本を買う傾向があるので超ロングセラー本が多いとか、出版社の営業さんとの関係等々。とにかく担当者が全霊を傾けてその売り場を作っているというのがひしひしと伝わってくる。我々消費者は書店員の努力を気にすることなく本屋の書架を眺めるが、そこには巧妙に購買への伏線が張り巡らされているのである。しかしながらこのような努力にもかかわらず出版物全体の売り上げは年々下がる一方で、著者は書籍を通じた日本語文化の保護に必要性を訴え、さらにはAmazonを中心とするネットショップへの購買層流出の危惧と電子書籍化への流れについても警戒をあらわにする。

 

 本にも一期一会があり、書店でたまたま隣の書架を見て良い本に出合うというのはよくある。ピンポイントで検索するネットでは思いがけない本との出会いは少ないので、書店ぶらぶらというのはいいものだ。その一方で著者や書店員の熱い気持ちとは裏腹に出版点数が増えるばかりで、総じて、「つ・ま・ら・な・い作品」が多すぎる。そして今まで本で得ていた情報の一部が質はどうであれネットで簡単に手に入る現状では売り上げが伸びて行かないのも当然であろう。本質的にはもっともっと良質な書籍(この定義・基準は読む人によって違うので難しいが)を出版してもらいたいし、流通の問題で取り寄せに2週間かかりますとか今の時代におかしいじゃないか。これは本屋や書店員には関係ない話だけど。

 

 ところで最後の方に、「最近の人はカスをつかみたくないんだよ。つまらない本を読んで時間をムダにしたくない。だから誰か権威のある人の推薦とか、ベストセラーとか年間ベストテンとかがもてはやされる」という意見が書かれていたが、答えをすぐ求める最近の傾向をうまく言い当てている。書籍には限らず、テレビで誰彼がいいと発言すればあっという間にその商品が品薄になるのも本質的には同じである。自分で考える(判断する)とか試行錯誤するという習慣をつけなければ人間の幅が拡がらないのではなかろうか。自戒を込めて。